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国『イレッサ和解勧告に関する考え方』の問題点

2011年1月31日

薬害イレッサ弁護団

 国は、2011年1月28日、裁判所の和解勧告を拒否するとともに、その理由を記載した「イレッサ和解勧告に関する考え方」(※)及び「参考資料」を公表した。以下はこれに対する弁護団の反論である。なお、国の和解勧告拒否に対する弁護団の基本的見解は、「声明」にも記載しているので、これも併せてご覧いただきたい。
 (※)http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000011b50-img/2r98520000011b6h.pdf

1 薬害イレッサ事件を「薬害」でないというのは誤りである

 国は、イレッサの事案は、薬そのものに問題はなく、副作用情報の患者への伝え方の問題であるから、いわゆる「薬害」ではない、と述べている。

 しかし、医薬品は、正しく使わなければ有害無益となりうるものであり、「物質」と使用方法等に関する「情報」が一体となって初めて成り立つ商品である。従って、物質(厚労省はこれを「薬」と表現している)の方に問題があるときだけが薬害であるというとらえ方は、医薬品の本質を全く理解しない考え方である。

 そして、過去の薬害も、医薬品の危険性情報が正しく伝えられなかったことから発生しているのであり、この点ではイレッサと過去の薬害事件と何ら変わりはない。イレッサの副作用被害は正に「薬害」である。

2 治験外使用の問題を持ち出すのは筋違いである

 国は、治験外症例をより厳格に審査しなければならないとすれば、治験外の臨床研究を治験と同様の厳密さで行うことが求められ、治験外使用がより限定的となる。そうすると、治験には参加できないが未承認薬の使用を希望する患者の未承認薬へのアクセスが阻害されると主張し、また抗がん剤の開発が大幅に遅滞するなどと主張している。

(1) 所見は治験外使用の縮小や抗がん剤開発の遅滞にはつながらない

 しかし、所見は、現行制度の下で国が把握していた治験内・治験外の副作用症例に基づいて、イレッサの初版添付文書の間質性肺炎についての記載は注意喚起として不十分であったと指摘しているだけである。

 現行薬事法上、申請企業が入手した副作用情報は、治験の内外を問わず国への報告が義務づけられており、報告された副作用症例は当然審査の対象とされている。所見の指摘はこのような現行制度の枠組みを全く外れるものではないのに、国は、「より厳格な審査」という曖昧なマジックワードで、所見が医薬品開発の現場に変化を求める内容であるかのような印象を与えようとしている。

 イレッサの審査においても、国は治験外使用の副作用症例の報告を受けて審査対象としており、問題はその際に間質性肺炎症例の見落としをし、また評価を誤ったことにある。所見は、現行制度上で実際に国が把握していた副作用情報を判断資料としているだけであり、治験外の臨床研究に今以上の厳密さを求めているわけではない。したがって、所見を受け入れたとしても、治験外使用が限定的となることはないし、抗がん剤の開発が遅滞することもない。

(2) 治験外使用のために承認薬の添付文書の規制を緩めるのは本末転倒

 また、そもそも未承認薬は使用できないのが原則であり、未承認薬の治験外使用は例外である。重篤で他の治療法がない疾患の患者などに、人道的見地から例外的に未承認薬の使用を認める必要性が指摘されていることは確かであるが、現在、そのような未承認薬の使用を認める公的な制度がない日本では、未承認薬の治験外使用はもともと限定的にしか行われていない。未承認薬への患者アクセスを重要と考えているなら、欧米で導入されているコンパッショネート・ユース(未承認薬の人道的使用)制度などの公的制度の整備を急ぐのが筋である。そのような努力をしていない国が、治験外使用の縮小を理由に(そもそも縮小しないことは前記のとおりだが)、承認後の添付文書の記載の充実を求める所見を否定するのは、本末転倒の議論である。

 所見が求めているのは、患者の医薬品の選択権を保障する前提として不可欠な、副作用情報の提供である。承認薬においてすら情報提供を軽視するようでは、未承認薬に関する情報提供など期待できない。国の主張こそ、がん患者全体の利益に反するのである。

3 医師への責任転嫁で自らの責任を免れようとするのは不当である

 国は、間質性肺炎が致死的であることは医師にとって周知の事実であり、また添付文書の「重大な副作用」欄は場合により致死的となりうる副作用を記載する欄であるから、初版添付文書のように「重大な副作用」欄に間質性肺炎の記載があれば、医師にはそれが致死的なものであるということは分かる、と主張する。そして、致死的な副作用の危険性の説明を受けずに患者が投与を受けていた問題は、現場でのインフォームド・コンセントの問題として解決の方向性を見出すべきとする。

(1) 『副作用の少ない薬』との認識が広がっていた実態を無視

 しかし、イレッサの場合、承認前から『副作用の少ない画期的新薬』であるとの事実上の宣伝がなされ、現場の医師や患者に『夢の新薬』であるとの期待が広がっていた。所見は、そのような現場の実情を前提に、イレッサの間質性肺炎の危険性を現場に十分に伝えるためにはどのような措置をとるべきであったか、を判断している。国は、このような現場の実情をことさらに無視している。

(2) 医師への責任転嫁は不当

 患者に致死的な副作用の危険性が伝えられていなかったのは現場のインフォームド・コンセントの問題だ、とする国の主張は、現場の医師に責任を転嫁するものである。致死的な副作用の危険性は添付文書から分かるのだから、それを説明しなかったのは医師のミスであり、被害者は医師を訴えるべき、ということになる。

 しかし、2002年7月5日の承認から10月15日の緊急安全性情報発令までのわずか3か月あまりの間に162例もの死亡例が発生した事実は、これが医師の説明不足といったレベルの問題ではないことを如実に示している。医師のインフォームド・コンセントは、医師に対する情報提供が十分に行われて初めて機能する。イレッサの場合、インフォームド・コンセントの前提となる医師への情報提供が不十分であったことは明らかである。薬害イレッサ事件において、添付文書の改訂などによる指示警告の充実にともなって被害が激減している事実も、承認当初の情報提供の不足を示しているといえる。

4 薬害イレッサの解決は『がん患者全体の利益』に合致する

 国、さらに菅首相は、「がん患者全体の利益も考えなければならない」などと述べ、薬害イレッサの解決と『がん患者全体の利益』が対立するものであるかのような構図を作り出している。

 しかし、前述のとおり、薬害イレッサの解決が、治験外使用の縮小や、抗がん剤開発の遅れに結びつくものではない。「致死的な副作用も起こりうるということを、より分かりやすく添付文書に記載せよ」という所見を受け入れることが、なぜ『がん患者全体の利益』に反するのか。所見は、がん患者の知る権利の保障に資するものであり、所見を受け入れることこそ、がん患者全体の利益に合致することは明らかである。

 実名原告の近澤昭雄さんは、一部の関係者の誤解に基づく批判にさらされてきた。薬害イレッサの解決ががん患者全体の利益に反するという誤解を煽り、利用することは、副作用被害者に二重の苦痛を与えるものであり、不当という他はない。

5  国は責任を認めたうえで、救済制度を創設すべき

 国は、和解勧告を拒否する一方で、抗がん剤による副作用被害救済制度の創設について言及している。救済制度の創設は原告らが強く求めてきたことであり、原告らの全面解決要求の重要な柱である。

 しかし、大規模な被害の原因を直視せず、自らの責任を回避したまま、救済制度を創設することで事態の収束を図ろうとする国の姿勢は、到底認め難い。

 不可避な副作用被害に対する救済制度は必要であるが、金銭で被害、特に死亡被害を完全に回復することは、不可能である。第一に必要なのは、被害を可能な限り防止することである。被害の原因を検証しその改善を図ることなしに、被害の再発を防ぐことはできない。

 国に求められているのは、薬害イレッサ事件を引き起こした責任を認めて、真摯に反省し、その基盤の上に立って、被害者の救済と薬害再発防止、そして救済制度の創設を行うことなのである。

以上

イレッサ訴訟和解勧告に関する考え方について 厚生労働省 (2011/1/28)
和解勧告拒否の際に国が公表した見解に対する反論 | 薬害イレッサ弁護団

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