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健康への道しるべ

くらしと健康 連載コラム

藤井基博

健康食品とつきあう
(1)スタイル

2002年6月

 形、型、パターン、流儀、形式、やり方。スタイルがある、スタイルがない。have no styleとは、「品がない」という意味らしい。

 「あの人のスタイル」というとき、それはその人の身なり、やり方、社会的地位、人間関係、すべてをひっくるめる。手に入れたもの、経験したもの、失ったもの。そのすべてがスタイルをつくる素材。精神の気高さが品となってそれらの素材を包み、凹凸をもったその人のスタイルができる。

 個人のスタイル、組織のスタイル、会社のスタイル。スタイルは、影響力をもっている。個人が好きなスタイルはいくつでも存在する。多数の人によって、客観的に賛同され認められる共通化したスタイルを作るのは難しい。

 保険診療下の治療スタイルは、厚生労働省の認可された治療方法や薬剤が選ばれる。

 健康食品の分野のスタイルはどうか。国内では、医薬品でも食品でもないものを規制する「健康食品法」のような法律はない。健康エコナやアミールSなどは、特定保健用食品とよばれ、疾病や老化の予防効果が機能をうたわれているが、野放しなものの方が多い。つまり共通化されたスタイルなしだ。

 ファッションも、健康も、流行りだからとみなが同じように真似をする。そこにどれだけの気持ちをもっているか?。大抵は品をもったスタイルとは無縁ではなかろうか。

 でも「スタイルのある人」が同じ真似をすると、なぜか自分のものにしてしまう。そういう人は、提供される医療に選択肢があれば、自分のものとして選べる。健康食品・代替え医療は混沌としているが、米国のダイエタリーサプリメント健康教育法(DSHEA、1994年)のような法律が整備されても、自分の生き方にスタイルがなければ、また翻弄されてしまうだろう。

 スタイルへの気づきは、他のなに者でもない、自分への気づき。

健康食品とつきあう
(2)ナチュラル

2002年7月

 【ナチュラル】自然、自由、そのまま、生まれつきの。

 わたしは、ナチュラルといえば、自然をイメージするし、ナチュラルという言葉に弱い。コンクリートの建物で化学合成物を扱い、パソコンに向かう毎日にはほとほとぐったりしてしまう。「リフレッシュしよう!」と自然を探しても、見つけることの困難さに立ち止まってしまう。それでもこの千駄ヶ谷は、外苑や御苑から緑を含んだ風がくるからまだましで、澄んだ空気と緑に囲まれてうまい魚や野菜を食べたいつかの記憶を思い出すのが精一杯だ。ナチュラルには無のイメージもある。すべてを受け入れてくれる安心感がある。ナチュラルに囲まれるとやっぱりわたしたちは動物で、自然界の一要素であると実感する。

 さて、体のなかにもナチュラルを取り込むことが流行っている。そう、健康食品でいう自然、天然である。自然、天然と表記されていたら、それは、安全を保証してくれるのだろうか。それなら、合成は危険なのか。合成ビタミン剤は危険なのか。

 わたしの食生活は、お世辞にも合格点ではない。でも、赤点でもない。朝は必ず食べているし、お昼は週に3日は弁当。夜が落第で、飲んで話しをするか、まっすぐ帰宅しても22時すぎに夕食を摂っている。だから、週末はせめて、惣菜やビネガーを使った小料理が食べたくなる。簡単なものばかりだけれど。あとは、無塩の野菜ジュースとヨーグルト。たいていの栄養素は手作りにしろ何にしろ、食事そのもので補えるのではなかろうか。

 健康補助食品はあくまで、「補助」でしかなく、ビタミンゼリーや、カロリービスケットは食事の代わりにならない。それで安心と思っていたら、そのほうが危険だと思う。むしろ、食品でいうナチュラルは良くも悪くも、個性をもってた商品といったほうがよい。

 ナチュラル志向。そうそう、ナチュラルという言葉には、好き嫌いといったその人の性格も表すらしい。だから、簡単、単一、素朴を意味する【シンプル】とはちがう。

健康食品とつきあう
(3)スタンダード

2002年8月

 健康食品で、おすすめできる商品や効果的な使用方法があるならば、紹介をしたい。しかし、これなら大丈夫です!と、現在紹介できる健康食品は思い当たらない。

 【スタンダード】とは、標準、規格、定式のこと。基礎、根拠となる【ベーシック】をもとにした、比較判断のための基準である。たとえば、すでに確立された診断や治療の方法を【ゴールドスタンダード】という。そして、スタンダードをもとにした合意が標準化である。

 健康食品が効いた!という報告は、比較する対象のいない症例【レポート】である。症例をまとめて評価し、標準化をする。1つの方法を全ての患者に提供することが標準化の目的ではなく、標準化は、個別の対応をするための判断材料である。その人に合った種類や投与量は、ふつうの人でどうなのか、わからなければ調節ができない。個人が満足できる治療を堂々と行うために標準化が存在する。

 残念ながら、健康食品の分野では、紹介できる標準【スタンダード】はない。おもしろくはないが、今回は厚生労働省の取り決めを紹介する。

 健康食品は、医薬品ではなく、食品に分類される。食品は、食品衛生法、医薬品は薬事法に分類され、法の規制をうける。この中間にあたる健康食品法なる法律はない。

 そして、健康食品は図のように分類されている。グレーで示した健康食品のなかでも、特定機能保健用食品(トクホと呼んでみましょう)は、生活習慣病の一次予防を目的とした食品で、健康に有用な機能性をもつと認められた食品。、個別に商品ごとに許可され、2001年で油の健康エコナ、高血圧のアミールSなど289品目が認められている。

 栄養機能食品は、すでに成分があらかじめ定められており、12種類のビタミン、2種類のミネラルについてのみ許可されたもの。

 健康補助食品は、おもにカプセル、錠剤の形をしており、51成分について規格の基準を定められ、クロレラ、プロポリスなどがあたる。補助とは、不足した栄養を補うという位置づけだが、人での臨床試験がなくても認定がうけられ、理屈は許可されたが、実際に人体に長期的に効果があるのか、肝心のところは不明なのが問題。

 厚生労働省がセルフケアを推奨するのは勝手だが、規制【コントロール】とともに、治療方法の標準【スタンダード】を検討していただきたい。

どうしてだまされるのか?
(1)イリュージョン

2002年9月

 くりかえす波の音が大好きで、いつでも窓辺を見つめていた。ソーダ水をかきまぜるストライプのストローのつくる気泡。初夏の思い出を連れ去った。わたし自身も磨きをかけなくては。
 何気に開いた雑誌には、お決まりのエステダイエットの記事。キノコヨーグルト、ケーキダイエットに、サウナでフラダンス。水ばかり飲むダイエットだってがんばってきた。おっとりタレントのさり気ないラインが売りのこの店は、テレビでも宣伝している有名どころ。駅の近くだし、ちょっと値が張るけれど、価値があるかもしれない。

 清潔な店内ときれいなスタッフが、わたしを迎えてくれた。簡単な説明のあと、初回限定マッサージ機で30分、腰と身体全体をもみほぐしてもらう。リラックスして寝そべるだけ。帰り際に勧められた「ダ・ダ・ダ・ダイエット」をしばらく服用するのばいいらしい。
 2週間後には、体重は2Kg減ったし、お腹もヘっこんだみたい。ちょっと効果があったかも。なにしろわたしは残暑のころ、約束のビーチで夏のなごりを惜しむのだから。

(解説編)

 効かないはずの薬が効いてしまうのは、よくあること。

 人は関連のないことでも、関連を持たせて考えてしまう。ゴルフをする友人を裕福と思ったり、海外で親切にされると、この国の人はみな親切だ、と思ったりする。ランダムな現象から、関連を見つけ、因果関係を作るのは人間の自然な性能。だから、仕事を簡略化したり、同じような問題に対処できたりする。

 逆に、関連のないものも関連させていることもある。何も見えないのに何かを見たり、病気になったのは、あのときにあれをやったから、と考えてしまう。これは、ランダムな現象の誤認知という。

 それに、彼女はやせようと思って、食事に気を配り、運動量も自然に増えたかも知れない。食事や、運動の条件をそろえた対照がいなければ、減量はエステダイエットの効果とはいえない。実生活で、対照を探すのは困難だ。自分の昔の経験を対照とするから、ますます間違った思いこみは深くなる。

【イリュージョン】幻影、幻覚、幻想、錯覚、思い違い、思い込み、妄想、錯視。

どうしてだまされるのか?
(2)ビリーブ

2002年10月

 「2回目のエステダイエット。おなかもすっきり、気分もリラックス。やっぱり効果があるのかも。」わたしは、エステダイエットに再度通いはじめた。
 スタッフは猫なで声でいう。「今なら、美白キャンペーン中ですよ。」「お試しで先着10名は無料です。」
 きたきた。トライしたら、ノーと言えるわけがない。ここで断っておかないと、さらにお金がかかってしまう。でも、ここで知り合った女の友人は、たしかに綺麗し・・・「キャンペーン、予約してください。」やはり、わたしも予約をした。

(解説編)

 一度効果があったことは、2度目も効果があるようにみえる。

 たとえば血圧は日々変動する。上がったり、下がったり。血圧を繰り返し測定し、全体が高かったら、高血圧。体重も同じ。しばらく測定しないと減少したかは、わからない。「自然回帰」を自分の都合のいいように、解釈しないよう注意したい。

 さらに彼女にはダイエットにくわえて、きれいになりたい願望がある。願望が強いと、人は欲しいものだけがみえてしまう。美白キャンペーンをしている人もみなきれいに見える。

 まちがった健康食品も同じで、「みんなも賛成してるし、大丈夫」とお互いを刺激しあうと、思いこみのアリ地獄にはまって被害者は増える。
 自分に都合のいい意見をちゃんと聞いてしまうことは、誰にでもあること。ああ、他人事ではない。わたしも危ない。

【ビリーブ】信じる、信頼する、確信する、真に受ける。

どうしてだまされるのか?
(3)リテラシー

2002年11月

 「あの店のダイエットは、つづけても結局無駄。効果なんてないわよ。」同じエステダイエットに通っていた友人がいう。
 ・・・気には、かけないことにしよう。彼女とは気心知れた友人だけれども、ダイエットのことは、もう話さないようにしよう。

(解説編)

 さて、信じたいという欲求がはたらいたとき、みなさんはその気持ちとどうつきあっているだろうか。

 信じよう、信じたいとする意志がはたらいて、好都合な話題が選択される。反対の情報は耳にはいらなくなり、どんな理屈も、論理も都合が悪ければ、煩く感じる。さらに自己本位な脚色をかさねて、信念と合致する評価は自分のなかで過大評価される。もはや、他人に忠告されても関係ない。

 でも私たちは、だまされようと思ってだまされるわけではない。

(1)人が誤った考えをもってしまうのは、正しい事実に出会っていないからと言うわけではない。
(2)だまされやすい人や頭の悪い人が誤った考えをもってしまうわけではない。
 コーネル大学の認知心理学者ギロビッチの言葉(著書「人間、この信じやすきもの」)だ。

 健康情報、医療の情報で、だまされない方法を学ぶ場は、残念ながら少ない。

 【リテラシー】。教養があること、読み書きの能力、識字能力のあること。

 おととしのユネスコの科学者シンポジウムで南アフリカ地域から、こう報告があった。子供たちへ海外支援をいくら受けても、科学や社会の分野の学習が遅れる。それは、母国語のリテラシーが不十分なためだという。一方、ニューヨークの高校では、ニュースから現実を構成しているものは何か?、を考えるメディアテラシー(メディア・リテラシーの略)という授業がある。

 医療をうけるときにも、リテラシーがあったほうがよい、とわたしは思う。「からだの仕組み」「食事のとりかた」「適切な運動」「心の仕組み」「コミュニケーションの方法」「くすりの役割」・・・。

 はて。日本では、どこでこのリテラシーを教えてくれるのだろう。

資料: T.ギロビッチ,『人間この信じやすきもの』迷信・誤信はどうして生まれるか,新曜社(1993)

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